~約半世紀の時を経て~昭和47年に制作された、今はなき西原小中学校(昭和53年閉校)の、当時の中学生が中心となって、全校の児童生徒、教職員、保護者が一つになって、作り上げた大きな壁画(90㎝×360cm)を展示するための小屋が完成し、お披露目会を行いました。
この壁画は庭造りをはじめた8年前から、ずっとお世話になっている。国井一夫さんご夫婦の納屋に収められていたものです。一夫さんは今年2018年5月に天国に旅立ちました。私はおじさんのことを「父さん」と呼んでいました。父さんは、地元剣淵町で生まれ育った、農家であり大工でもあった人でした。
昔、赤い濁った水を生活用水として利用していた時代、原野を農地に開拓する大きな開発事業が実施された。開発のさなか、地下水脈を発見し、何とかこの濁りのない清らかな水を地元の村に届けたいと、中心になって尽力した方だ。その他にも地元地域のかんがい用水確保の為のダム建設にも尽力した。
昔は、ほとんどの農家の方々が、冬は出稼ぎに内地に出向いたと伺った。そんな中父さんは40代で大工の資格をとり、地元に一人残った。生前父さんと軽トラに乗り、地元を案内してもらった時、現存するほぼすべての住宅、納屋、公民館は自分が手直したと、話してくれた。その横顔は穏やかであり、また威厳を感じた。
当時のことを知っている地元の方々皆さんが、口々に「一夫さんには本当にお世話になった。」と話していた。そして一夫さんはいつでも、決まった手間賃しかとらない人だった。と言っていた。誠実で嘘のない人だった。
私は父さんから直接聞いた。「俺は、材料が安く仕入れられた時はその値段でそのまま出す。」「何度も、同業者や卸業者から一夫さん安く卸すから、その分少しはもうけを出しなさい。」と言われたそうである。そんな時一夫さんは、決まって「安く入ったら、その分は、頼まれた家主に還元すればいい。」「俺は多くは、もらわん」そう言っていた。「すべて同じにする。俺は決まった手間賃だけでいい。」まっすぐな人だった。作業中に起きたハプニングや道具の不良その他、余計にかかってしまった材料や工具代は一切取らなかったそうである。
これは父さんの生き方そのものである。どれだけの村人が、救われたことだろう。あったかく真っすぐで誠実な人だった。
そんな父さんが53年の閉校時に、全校で1年半かけて卵の殻を砕いて色付けして制作した、壁画の命を救ったのである。閉校に合わせて、行き場がなくなった西原校の思い出の壁画を救ったのである。
父さんんも、当時この壁画制作にかかわっていたと聞いた。息子さんが西原小学校に通っており、保護者として、大工の腕を生かして壁画のベース・型枠、西原のもり公園開拓、かやぶき屋根のあずまや小屋制作など・・
担任の湊先生も、「わたしが家を建てたら、この壁画を引き取りに来ます!」と一夫さんに話をしていたとのこと。しかしながら、4m近い壁画を飾るのはやはり困難で、40数年がたってしまったとおっしゃっていた。
父さんが旅立ち、納屋の整理、解体が決まり、母さん(一夫さんの奥さん)から、「使える資材はもっていって」と声をかけていただいた。納屋に入ると、その大きな壁画が目の前に飛び込んできた。その時私はこの資材を使わせていただいて庭の西側に風除け兼休憩スペースを作る予定でいた。2階の床板や根太を外し終り、がらんどうになった小屋の大きな梁にかけられたその壁画をあらためて見たとき、ふと「この壁画を残したい」と思った。生前父さんが「この壁画を飾る場所を作りたい」と言っていた話を後で聞いて、なおさらのこと、使命のようなものも感じた。何とか地元の思い出の壁画、父さんの思い出を残したかった。そんな思いで小屋の制作に取り掛かった。今思えば、父さんが後押ししてくれていたような気もする。
資材はできる限り北海道にゆかりのあるもの、父さんの残した資材や、納屋解体で出た材を使おうと決めた。
基礎の石は、美瑛の農家さんが昔キウイ棚の基礎に使っていた軟石(美瑛軟石)を譲り受け、加工した。柱もすべて太さが違い、曲がっているものや、木ねじがねじ切れてしまうほどの太くて堅い木など、一つとして同じものはない。梁も近隣でつぶれてしまった納屋から出てきたもので、半世紀以上前のものである。
とにかく、素人の仕事なので、試行錯誤の連続であった。北国の風雪に耐えうるもの・・・。
形はいびつであるが心はたっぷり込めた。この昔懐かしい思い出の詰まった壁画をもう一度展示し、地元の方々が懐かしんでくれたら、そして何よりも父さんが喜んでくれるだろう!そんな思いで作りました。
気づくと、この取り組みに賛同してくださる方々がこの庭に遊びに来てくれるようになり、西原校の思い出の品々が集まり、お披露目会当日には、当時の壁画制作を手掛けた教諭の湊 美津江先生、地元剣淵の早坂 純夫町長までもがご来園、挨拶をしてくださいました! 新聞社の方々も事前に2社、当日は3社が取材に来てくださいました。
当日はたくさんの方々にご来園頂き盛大に、お披露目会をすることができ感謝感激です。
後半は場所を移して、「感謝のつどい」を実施しました。
花盛りのスライドショーや、展示小屋制作時のスライド、西原小の思い出を、湊先生よりご提供いただいた当時の懐かしい写真を大きなスクリーンに映し出しながら、当時を懐かしみました。後半はみなさん40数年の時をさかのぼり、学生時代に戻って目をキラキラさせて楽しんでいました!
イベント2日前に湊先生にお願いしていた西原小中学校校歌の楽譜が届きました。後で伺ったら当時の音楽の先生にお願いしてメロディーをおこしてもらっていたとのこと。みなさんに感謝です。
最後に、「みなさん、この曲を知ってらっしゃいますか?」と、校歌の前奏を引くと会場から「ワッ!」と声が上がり、涙の大合唱となりました!
私は地元の出身ではありませんが、みなさんが、うれしそうに当時を思い起こし、涙している姿を見ると、私も自分のことのようにうれしく、胸がいっぱいになりました。幸せな時間でした!
北の大地で庭造り、8年目の奇跡です。
一枚の壁画がたくさんの人々を結び付けてくれました。これも父さんとの出会いなくしてはありえません。
父さん!ありがとう・・・